アルフレッド大王 - 高橋博

アルフレッド大王

Add: jobev2 - Date: 2020-11-28 16:16:00 - Views: 3344 - Clicks: 5218

Duckett原著、小田卓爾訳『アルフレッド大王 その生涯と歴史的背景』 新泉社、1977年。 B. アルフレッド大王Alfred the Greatウェセックス王在位871年 - 899年別号ブレトワルダ、アングル人とサクソン人の王出生849年バークシャー、ウォンティジ死去899年10月26日配偶者エアルフスウィス子女エドワード長兄王、エゼルフリダ、エドマンド、エゼルイブ、エルフスリュス、エゼルウェアルド. 1 形態: 233, iiip ; 19cm 著者名: 高橋, 博(1936-) シリーズ名: 朝日選書 ; 466 書誌ID: BNISBN:. アルフレッド大王 : イギリスを創った男 / b. 高橋 博【著】. エゼルフリダ - 889年マーシア太守エゼルレッドへ嫁ぎ、後にマーシアの貴婦人(Lady of Mercia)と称されている。 2.

時計を発明した人 6. 母オズブルフはゴート人の血を引くエゼルウルフ王の高名な執事オズラックの娘であったと伝わる。「アルフレッド大王伝」の著者アッサーはオズブルフの人柄について「とても信心深い女性で、心も清く、家柄も高貴であった」(注2)と記す。 ある日――おそらく855年以前のエピソードと考えられている――、オズブルフは息子たちに向かって自身のサクソン詩の本を見せながらこう言った。 「あなた方のうちで誰でもよろしい。この本を一番早く覚えた子に、差し上げましょう。」(注3) アルフレッドは教師のところに行って熱心に教えを乞いながら兄たちの誰よりも早く覚えて母親の前で朗誦してみせたという。少年時代の勉学熱心なアルフレッド少年を表すエピソードとして知られている。しかし、母オズブルフはほどなくして亡くなったようである。. アルフレッド大王-イギリスを創った男: ベアトリス・アドレイド・リ-ズ 高橋博: 開文社出版: 1985/10 発売 ( B6・390ページ ) isbn:: 価格: 3,850円 ( 本体: 3,500円 ). この頃、デーン人の侵攻は日に日に激しさを増していた。エゼルレッド王が即位した866年、デーン人の大船団がイースト・アングリア王国に上陸、現地で馬を調達して大規模な騎兵部隊を編成して劫略してまわった。867年、この部隊が北上して、ヨークからノーサンブリア王国へと侵攻、内紛で対立していた同国はデーン軍の攻勢に二人の王が殺害され、北方の雄として繁栄を誇ったノーサンブリア王国は敢無く滅亡した。 868年、アルフレッドはマーシア王家の血を引くガイエ太守エゼルレッド・ムキルの娘エアドブルフと結婚した。当時のマーシア王国はかつて七王国に号令したころの勢威は消え、ウェセックス王を宗主と仰ぐ従属国である。同年、そのマーシアへ向けて、イースト・アングリアを劫略しノーサンブリア王国を滅ぼしたデーン人の大部隊が南下を開始していた。 記録に残るアルフレッド最初の戦いが、このときである。兄王エゼルレッドとともに大規模な軍を率いたアルフレッドはマーシアに出陣し、ノッティンガムへ軍を進めてデーン人と睨み合った。デーン軍は城塁に籠り、ウェセックス軍はこれを崩すことができず、マーシア人とデーン人の和平が成立して軍を. アルフレッドが戦いに疲れ、一軒の民家を見つけると身分を隠し、休ませてくれと頼んだ。奥さんは休ませる代わりにパンの火を見ていてくれと言うので引き受けた。だが疲れていたため、つい微睡んでしまい、パンを焦がした。奥さんはアルフレッドを叱りつけたという。 3. アルフレッド大王 - 英国知識人の原像 - 高橋博 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。.

アルフレッドは849年、ウェセックス王エゼルウルフ(” Æthelwulf”)と王妃オズブルフ(” Osburh”)の第四男として生まれた。エゼルウルフ王は、流亡の身からウェセックス王家を再興して七王国時代を終わらせた「覇王」エグバートを父に持ち、「大王」アルフレッドを息子としていたことで、多くの王朝の二代目の例に違わずどうしても影が薄いが、堅実で優秀な王であった。 853年、敬虔なエゼルウルフ王は、五歳のアルフレッドに多くの供をつけてローマへ送り出す。アルフレッドはローマ教皇レオ4世に拝謁して親書を持ち帰り、855年、今度はエゼルウルフ王自らアルフレッドを連れてローマを訪れ、新教皇ベネディクトゥス3世に拝謁、多くの贈り物を献上した。二度のローマ訪問の目的について、基本的に信仰心以上のものではなかったと考えられている。(注1)あるいは、教会との緊密な関係を構築することで、異教徒デーン人討伐の協力を得る目的もあったかもしれない。. 吟遊詩人に変装してデーン陣営に忍び込んだ話 4. アルフレッドには長兄エゼルバルド、次兄エゼルベルト、三兄エゼルレッドの三人の兄がいる。このうち長兄が問題であった。856年、ローマ巡礼からの帰路、エゼルウルフ王は西フランク王シャルル禿頭王の下に寄って王女ジュディトを妻に迎えた。当時13歳の少女であり、フランク王国との関係を緊密化させた政略結婚である。若い新妻を連れ帰ったエゼルウルフ王とアルフレッド少年を待っていたのが、エゼルバルドの反乱であった。 エゼルバルド一味はエゼルウルフ王を国内に入れないよう図ったが、貴族たちの抵抗にあいこの謀叛は失敗に終わる。エゼルウルフ王は寛大な処置を示して、王国の中枢ウェセックスの統治をエゼルバルドに、自身はケント、サリー、サセックスなど東部を治めることとした。. ・青山吉信・飯島啓三・永井一郎・城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年) ・大沢一雄著『アングロ・サクソン年代記』(朝日出版社,年) ・桜井俊彰著『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 (歴史文化ライブラリー)』(吉川弘文館,年) ・高橋博著『アルフレッド大王―英国知識人の原像 (朝日選書)』(朝日新聞,1993年) ・アッサー著(小田卓爾 訳)『アルフレッド大王伝 (中公文庫)』(中央公論新社,1995年).

この白馬はアフィントンの白馬で、実際には約3000年前から存在しているとされている。 5. 高橋 博『アルフレッド大王―英国知識人の原像』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約4件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。. Leez, Beatrice Adelaide, 高橋, 博(1936-). 即位直後、デーン軍はテムズ川を北上してウェセックスに侵攻、アルフレッド自らウィルトンで迎え撃ち敗走させたが、追撃時、デーン軍別動隊と遭遇して返り討ちにあった。以後も一進一退の攻防を繰り返し、大きな戦闘だけで一年に九回もの戦闘が行われて両軍疲弊したため、アルフレッドは和解金の支払いにより休戦条約を締結、五年間の平和が訪れ、アルフレッドは体制の立て直しに尽力し、875年には新たに侵入してきたデーン軍を海戦で撃破した。 デーン軍はいくつかの部隊に分かれて各地に侵攻、略奪と破壊を繰り返したが、その被害を被ったのがマーシア王国である。ときのマーシア王ブルフレッドはアルフレッドの姉エゼルスウィスを妃としてウェセックス王国の宗主権下にあった。872年と873年にブルフレッド王は繰り返しデーン人と和平を結ぶが、874年、デーン軍の侵攻の前にローマへの亡命を余儀なくされ、そのまま878年に客死した。デーン人はブルフレッド王に代わりケオルウルフ2世を傀儡に立てたが悪政を敷いたためデーン人によって追放され、879年、一時はイングランドを統一せんばかりに栄えたマーシア王国も滅亡する。 877年8月、アル.

アルフレッド大王 B・A・リーズ 著/高橋博 訳 アングロサクソン時代の偉大な国王であり、最高の知識人であるアルフレッドの全体像に光をあて、当時の歴史・文化・信仰・生活を解明した本格的著述。. 章 国王の権威とアルフレッド法典 第6章 知識人と意識革命 第7. アルフレッド大王 : イギリスを創った男 フォーマット: 図書 責任表示: b. リーズ著 ; 高橋博訳 開文社出版, 1985. 878年の復活祭の日(3月23日)、アセルニー城砦のアルフレッド大王は攻勢に出ることを決意し、その七週間後、セルウッドの森の「エグバートの石」と呼ばれる場所に軍を進めた。その名の通り、祖父エグバート王ゆかりの地と考えられるが、場所がどこなのかは特定できない。サマーセットシャー、ウィルトシャー、ハンプシャーの住民が王の下に参集し、翌々日、エディントンでデーン軍と交戦に至る。 エディントンの戦いではデーン軍に対してウェセックス軍は「緊密な盾壁」(注7)を築いて襲い掛かり、一方的な戦いとなった。窮したデーン軍は敗走して近隣の城(ブラットン城と考えられている)に逃げ込み、アルフレッド大王はこれを包囲して十四日後、デーン軍は降伏した。 勝因としてアルフレッドがデーン軍に学んで移動時に馬を活用して高速に移動する騎馬歩兵隊を編成したこと、アルフレッドが優秀な家臣を多く抱え、彼に対する家臣団の高い信頼感を醸成していたことなどが挙げられる。(注8) 降伏したデーン軍の指導者グスルムはカトリックへの改宗を申し出て、アルフレッドの後見で受洗、その後ウェッドモアでアルフレッドらウェセックスの代表者、イー.

書名: アルフレッド大王 : イギリスを創った男: 著作者等: Lees, Beatrice Adelaide Leez, Beatrice Adelaide 高橋 博: 書名ヨミ: アルフレッド ダイオウ. アルフレッド大王 : 英国知識人の原像 フォーマット: 図書 責任表示: 高橋博著 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 朝日新聞社, 1993. . アルフレッド大王―英国知識人の原像. アルフレッド大王―イギリスを創った男 (日本語) 単行本 – 1985/10/1 B・A・リーズ (著), 高橋 博 (翻訳) その他 の形式およびエディションを表示する 他の形式およびエディションを非表示にする.

母からアングロ・サクソン語の詩集をもらう話 2. isbn:定価:1282円(税込) 発売日:1993年1月13日 四六判 アルフレッド大王 - 高橋博 248ページ 選書466. 講談社学術文庫 1862 - アルフレッド大王版で読む「英国史の源泉」。ブリタニア時代から8世紀までのイングランド史を客観的に叙述した古代・中世史の一級資料。尊者ベーダを「イギリス史の父」たらしめた畢生の名著、待望の新訳。. フェルナン・モセ 著. 当時ウェセックス王国はイングランド東部に定着したデーン人から攻撃を受けていた。エゼルベルフト王が死去した後、865年エゼルレッド王が即位するとともに、アルフレッドは副将となり、公務を担うようになった。867年、義兄マーシア王ブルグレドの要請でエゼルレッド王とともに出陣し、初陣を飾った。 871年、アッシュダウンの戦い(英語版)でエゼルレッド王とともに戦い、勝利を収める。しかし、エゼルレッド王がこの戦いで受けた傷が悪化し死去。賢人会の決定によりアルフレッドが即位する。 875年にウェセックス勢が初めて海戦で勝利を収めると、翌876年にはスオニッジの海戦でデーン人の戦艦120隻を沈めるという大勝利を得た。しかし878年デーン人にアルフレッドの居たチップナムを急襲され、アルフレッドは天然の要害であったアセルニーに退いた。そこに要塞を建設し、召集兵を再編成、反撃の準備を行った。 同年、エサンドゥーンの戦い(英語版)(古英語: Battle of Ethandun、現在のウィルトシャー州エディントン(英語版)付近)でデーン人を破りウェセックスを奪還した。同年のウェドモーアの和議で平和条約を締結し、彼らの勢力範囲をイングランド東北部のデーンロウにとどめ、イングランド統一の基礎を築いた。 アルフレッドは兵役の交代制を導入するなどの軍政改革を進めた。また、敵の戦術を研究し取り入れたり、情報収集に長けていたとも言われている。デーン人の船を参考としたアルフレッド型軍艦を建造させ、フリースラントなどから水夫を呼び寄せ、海軍を創設した。アルフレッドが英国海軍の父と呼ばれるのはこれが起源である。これらが功を奏して、アルフレッドはデーン人を退けることができた。 882年には4隻の軍艦と海戦し、これに勝利する。886年にはロンドンを奪回。893年以降もデーン勢とたびたび交戦するが、全て撃退しておりアルフレッドの平和を脅かすほどではなかった。なお、デーンロウが回復するのはアルフレッドの2人の子、エドワード長兄王とマーシアの貴婦人エゼルフリダの時代になってからである。. アルフレッド大王版で読む待望の新訳。 英国民教会史 / 高橋 博【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア 当サイトを正常に閲覧いただくにはJavaScriptを有効にする必要があります。.

注1)高橋博著『アルフレッド大王―英国知識人の原像 (朝日選書)』(朝日新聞,1993年)16頁 注2)アッサー著(小田卓爾 訳)『アルフレッド大王伝 (中公文庫)』(中央公論新社,1995年)63頁 注3)アッサー78頁 注4)アッサー75頁 注5)高橋45頁 注6)高橋59-63頁 注7)アッサー97頁 注8)高橋69頁 注9)アッサー330頁 注10)青山吉信著「第五章 イングランド統一国家の形成」(青山吉信・飯島啓三・永井一郎・城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』(山川出版社,1991年))157頁,高橋61頁 注11)青山157頁,高橋96頁 注12)高橋93-95頁 注13)高橋98頁 注14)「牧者の心得」高橋128-129頁より 注15)アッサー243頁 注16)高橋188-189 注17)アッサー238頁. . 高橋博 | 年06月28日頃発売 | 「女の子のことはよくわからない」と母親任せにしていませんか?女性であっても、社会に出て、バリバリ働くのが当たり前の時代。女の子の将来の幸せのために、父親にしかできないことがあります。数々の名門女子校改革を成功させた著者が教える「父親の. アルフレッド大王 : イギリスを創った男 B. アルフレッド大王 : 英国知識人の原像. 849年、バークシャー地方の王領ウォンティジにてウェセックス王エゼルウルフとオズブルガの間に五男として生まれた。祖父母はエグバートとレドブルガである。 853年、幼少ながらエゼルウルフによってローマへ送り出され、当時の教皇レオ4世に謁見した。レオ4世はアルフレッド少年に塗油し、堅信礼を施したという。855年には父エゼルウルフとともにローマを再訪した。なお、この2度目の訪問の帰途、エゼルウルフは立ち寄った西フランク王国でシャルル禿頭王の娘ユーディスと再婚をしている。 エゼルウルフ王の死去後、3人の兄たちが次々と王位に就いたがいずれも短命に終わり、871年に王位を継ぐと、侵攻してくるデーン人と持病(ficus:おそらくクローン病による痔瘻)に苦しめられながらも、死去する899年までの約28年間ウェセックス王国を治めた。最終的にアルフレッドはウェールズの南部からデーンロウを除くイングランドのほぼ全域を支配し、全アングロ・サクソン人の王となった。 死後、聖公会・カトリック教会・正教会で聖人となっている。. 特筆される改革が「アルフレッド法典」の制定である。過去にケント王エゼルベルトによるエゼルベルト法典、ウェセックス王イネによるイネ法典、また現存していないがマーシア王オファによるオファ法典などが編纂されていたが、アルフレッド大王はこれらを踏襲しつつ、各条文について取捨選択の上で新しい条項を加えて新しい法典として作成、自ら注釈を書くなど学識の高さを示してもいる。(注11) アルフレッド法典では、国王の生命を脅かす陰謀を働いたものへの罰則など「反逆罪」が規定され、マーシアを除いて太守職の世襲を禁じ、教会は世俗の権威により保護を受けるとするなど、王権の確立が図られた。(注12)また、また殺人や傷害、窃盗など多くの犯罪に対する罰則や賠償、人命金の規定などが盛り込まれ、適切な運用を監視できるよう裁判所の判決一つ一つに王自ら目を通したという。(注13). アルフレッドの子どもたちに関してはアッサーの「アルフレッド大王伝」に詳しい。それによると、アルフレッドとエアルフスウィスの間に生まれた子は3男3女である。 1.

エドワード(871/2年 - 924年) - アルフレッドの没後、王位を継いだ。エドワード長兄王として知られる。 4. アルフレッドはウェールズの学僧アッサーをはじめとし、マーシア出身のプレイムンド、ウェルフェルスなどを招聘し、荒廃したイングランドの学問の復興に当たらせた。ラテン語の文献を翻訳するなど学芸振興にも力を注ぎ、自らもラテン古典の英訳に携わった。アルフレッドが訳するよう指示したと言われる書物が聖グレゴリウス『対話』『司牧者の心得』、オロシウス『異教徒を駁する歴史』、ベーダ『英国民教会史』、ボエティウス『哲学の慰め』、聖アウグスティヌス『独白』『詩篇』である。そのうち『司牧者の心得』の序文は原典にはなく、アルフレッド作であると言われ、デーン人によるイングランドの文化衰退を嘆く文章となっている。 教育に関してもアルフレッドの尽力は評価が高い。前述の学者・学僧などの協力を得て宮廷学校を設立し、自身の子を筆頭に貴族の子などに教育を施した。 一方でアルフレッドはアングロサクソン年代記の作成を指示した。9つある写本と断片のうちで一番新しい記事は1154年であり、ベーダの『英国民教会史』などを参考に紀元前からの歴史が約250年の間に書き続けられたことになる。これらのアルフレッドが作成させた年代記や翻訳した文献は古英語の希少な研究対象としての価値も高い。 また、アルフレッド法典と呼ばれる法典の編纂を行った。この法典は旧約聖書の十戒など聖書の抜粋から始まり、ケント王エゼルベルト法典・ウェセックス王イネ法典と、イネ法典に強く影響を受けたマーシア王オファ法典などを参考にして編まれた。それに伴って裁判制度の改革を行い、王国をシャイアやハンドレッド (hundreds)に分割し地方裁判をきちんと行わせたり、フランク式誓約を導入したりした。これらの改革によってウェセックスの治安は厳粛に守られた。 晩年のアルフレッドは、デーン人の侵略によって荒廃したイングランドの復興に従事した。度重なる侵攻によって荒廃したロンドンをアルフレッドは立て直した。この際、当時の主流であった木造建築ではなく、石の建材が用いられた可能性がある。ロンドンの他にも外敵からの防衛拠点としての役割を持たせたバラ(borough)の建設など後世に引き継がれていく政策など行っている。. 高橋, 博(1936-) 朝日新聞社 8 図書 大学職員の力を引き出すスタッフ・ディベロップメント : 大学のアイデンティティを鍛えるプロジェクト創出型SDの記録. アルフレッド ダイオウデン. Pontaポイント使えます! | アルフレッド大王 英国知識人の原像 朝日選書 | 高橋博 | 発売国:日本 | 書籍 || HMV&BOOKS online 支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!. アングロ・サクソン系諸国家が割拠して争った七王国時代は829年、ウェセックス王エグバートがマーシア王国を倒したことでウェセックス王家の宗主権が確立する。イングランドで統一の兆しが見えはじめた一方、最大の懸案となったのがデーン人の侵攻である。 八世紀末からデーン人がブリテン島への移動を活発化させ、移住だけに留まらず略奪や現地勢力との対立、軍事衝突に至るようになり、830年頃から本格的な戦闘が始まる。エグバート王時代はまだ小規模なもので食い止められたが、850年代に入るころからデーン人も組織化して大規模な武力侵攻に至り、イングランド全土を戦場としてアングロ・サクソン人とデーン人の熾烈な戦いが繰り広げられた。. アルフレッド王は戦災によって荒廃した教会組織の再生のため諸国から多くの聖職者を呼び寄せ、教会再建とともに学問の奨励や文芸の復興を図った。「アルフレッド大王伝」を著したウェールズ人アッサー、ガリアの司教グリムバルドとジョンなどが招かれ、国内でも司教ウェルフェルス、マーシアのブレイムンド、エゼルスタン、ウェルウルフなど聖職者が多く登用されている。 宮廷学校や修道院学校などが建てられて教育に力を入れ、ラテン語文献の英語訳を命じてもいる。アルフレッド治世下で英訳されたものにポエティウス「哲学の慰め」、教皇グレゴリウス1世「牧者の心得」、ベーダ「全アングル人の教会史」、オロシウス「異教徒を駁する歴史」などがある。大王は特に「牧者の心得」を重視して、序文を自ら書いて、全教会に配布を命じた。 ここは第一章の冒頭で現代にも通じる一節であり、アルフレッドが書いた部分ではないが、学問奨励のために教師の育成を重視していた王の意思が感じられよう。.

エゼルイブ(869年頃 - 918年) - シャフツベリー修道院に入り一生を過ごした。 3. アルフレッド大王は英国で人気が高く、様々な伝説的逸話が残されている。史実に基づくものもあるが、史実と異なるものも多い。 1. アルフレッド大王伝. 定価3,666円(3,333円+税) 在庫:なし. リーズ著 ; 高橋博訳 言語: 日本語 出版情報:. Lees原著、高橋博訳『アルフッド大王 イギリスを創った男』開文社出版、1985年。ISBN. 戦争から内政まで精力的に活躍したアルフレッド大王だが、彼は20歳頃に発病して以来、突発的に激痛に襲われる持病を持っており、常にこの痛みや、この持病から様々な病気を発病させる恐れと闘いながら王としての務めを果たしていた。 899年10月26日(901年あるいは900年説もある)、50歳でその波乱の生涯を終え、ウィンチェスター大聖堂に安置された。王位は長子エドワードに継がれ、遺言によって子供たちに所領・財産の分与が行われた。 彼の支配した領域の広さも、その影響力も同時代のヨーロッパの君主たちの中では微々たるものであったが、勤勉さや勇敢さ、統治能力、学問への理解、行動力、倫理観など非常にバランスよく卓越した多彩な才能を持った人物であったことは間違いない。後にイングランド王となるウェセックス王家の基礎を築き、イングランド統一への道を示した。歴代イングランドの君主の中でも屈指の人気を誇り、後に「大王”The Great”」の異名で呼ばれることになった。. 高橋, 龍太郎, 石本, 巳四雄故石本巳四雄教授記念論文出版會 5 図書 アフロ・アメリカ文学の研究 : ルーツとソウルを求めて リーズ著 ; 高橋博訳 著者: 高橋, 博(1936-) Leez, Beatrice Adelaide 出版者: 開文社出版 (1985) 請求記号.

エドマンド - 早世 5. Amazonで高橋 博のアルフレッド大王―英国知識人の原像 (朝日選書)。アマゾンならポイント還元本が多数。高橋 博作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 中古本を買うならブックオフオンラインヤフオク!店。まとめ買いで更にお得に!! タイトル アルフレッド大王 英国知識人の原像朝日選書466 作者 高橋博 販売会社 朝日新聞/ 発売年月日 1993/01/ご入札する前にご確認いただきたいこと. エゼルウェアルド(880年頃 - 922年) - アルフレッドが作った宮廷学校で学んだとされる。. 858年1月、エゼルウルフ王が亡くなり、遺命によって王国は長子エゼルバルドと次子エゼルベルトで分割すること、エゼルバルドが後継者無く死んだときは三子エゼルレッド、四子アルフレッドが順次継承することとされた。 ウェセックス王位を継いだエゼルバルドの治世は非常に評判が悪い。新王エゼルバルドはまず父王の妃ジュディトを無理やり自分の妃として批判を招き、為政者としても無能でデーン人の侵攻に抗しきれず国土の荒廃を招いた、と記録されている。王国にとって幸運だったのは、彼が在位わずか二年で後継者無く亡くなったことであった。続いて、遺命に反して次子エゼルベルトが王位につき、『五年間、平和と愛情と栄誉のうちに王国を統治』(注4)して亡くなる。 長兄、次兄の短命政権の後、866年、王位に就いたのが三兄エゼルレッドであった。このエゼルレッド政権時代から、アルフレッドの活躍が始まる。.

アルフレッド ダイオウ : エイコク チシキジン ノ ゲンゾウ. See full list on call-of-history. 高橋 博 講談社 ¥ 1,コメント:あれです、“英国国教会”とは別物で、むしろイングランドすら成立していない頃までのカソリックの話。間違ってても自分のせいじゃないよ、という前置きは初めてみたよw. 民家で休み、パンを焦がして叱られる話 2. この頃、アルフレッドはデーン人の脅威から逃れてサマーセットの沼沢地アセルニーに籠って窮乏生活を強いられていた。デヴォンシャーの太守オッダの指揮下でデーン人を撃破するなど各地で散発的な抵抗が繰り広げられていたが、アルフレッドは捲土重来を期してアセルニーを城砦化して隠棲を続けた。アセルニーは貧しい地域で食料を手に入れるのにも困るほどだったが、一方でエクセターやチップナムなどから等距離にあってデーン軍が侵攻してきた場合に急行しやすい場所にあった。 アルフレッド大王のアセルニー隠棲については、後世様々な伝承が語られるようになった。 「アルフレッドのパン」の伝承は十世紀末頃、アルフレッドの異母兄弟と言われる聖ニーオットの伝記に登場し、十六世紀、カンタベリー大司教パーカーがアッサーの「アルフレッド大王伝」を編纂するときにこの逸話を挿入したとされる。(注6) 大まかな話としては、以下のようなものだ。 アセルニーを旅するアルフレッドが近くの牛飼いの家を訪れて休息をさせもらっていた。彼が王とは知らない牛飼いの妻は多忙な家事もあってかまどで焼いていたパンをアルフレッドに任せたが、しばらくするとパンが.

アルフレッド大王 - 高橋博

email: akinedop@gmail.com - phone:(456) 501-8990 x 7289

千葉敬愛高等学校 平成31年 高校別入試問題シリーズC5 - 東京学参編集部 - 航空便覧

-> 文書・手紙の文例集 - 小野寺圭吾
-> 赤ちゃんの心を育てるよいしつけ 0~3歳 - 坂本洲子

アルフレッド大王 - 高橋博 - 電気工事施工管理 技術検定試験問題解説集録版 地域開発研究所


Sitemap 1

地図から消えた地名 - 今尾恵介 -